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勝道上人パート1 |
○みなさんは、「山菅の蛇橋」のお話を知っていますか? 「山菅の蛇橋」とは、今の神橋のことで、今からおよそ千二百五十年ほど前、勝道上人が初めて日光へ来たときと深いつながりがあるのです。 |
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![]() <山菅の蛇橋(現在の神橋)> |
勝道上人は10人のお弟子さんを連れて、 今の鹿沼市古峯ヶ原の方から、山を越え谷を渡ってやって来ました。そして、今の神橋の所へ出たのです。大谷川の両岸は、切り立ったがけでその下を流れる水は深くて、流れが速くどうしても渡ることができませんでした。勝道上人は、岩の上にすわり、神様や仏様をおがみ、「わたしは、この川(大谷川) を渡り、向こう岸(今の山内)に神様や仏様をおまつりするつもりです。どうかこの勝道の願いを聞きとどけ、この川を渡らせてください。」と、熱心にお祈りしました。 |
すると、向こう岸の岩の上に、青と黒のしまの着物を着て、首にドクロをつるした恐ろしそうな神様が現れ、「わたしは深沙大王であるぞ。今、勝道の願いを聞きとどけ、川を渡らせてやろう。」と叫ぶと、手に持っていた2匹のへび(蛇)を川の上に投げました。 |
2匹のへびは、空中で大蛇となり、からみ合って、橋のように川の上へ渡りました。しかし、へびの背中はつるつるすべるし、うろこはきらきら光っているので、とても怖くて渡れませんでした。 ところが、深沙大王が口の中で何かじゅもんをと なえると、へびの背中いっぱいに山菅(芝生の草のように細長い草)が生えて、へびの体をかくしたのです。それで、勝道上人たちはぶじに川を渡ることができたのです。 へびが橋をかけたところは、今までに何十回と橋がかけかえられ、今のようなりっぱな「神橋」となったのです。 勝道上人はぶじに川を渡った後、大谷川のほとりに四本龍寺と本宮神社を祀りました。 この四本龍寺で修行を重ねながら、男体山の登頂をめざしたのです。 |
![]() <深沙大王をまつった深沙王堂> (蛇王権現堂) |
出典(八木沢 亨 著 「子どものための日光のむかしばなし」より) |