慈覚大師 円仁
|八王子千人同心
時代劇
(
じだいげき
)
を
観
(
み
)
る人なら一度は聞いたことがあると思います。同心とは、今でいうと役所で
働
(
はたら
)
く
武士
(
ぶし
)
のことです。
下の写真は、「
日光火之番八王子千人同心顕彰之燈
(
にっこうひのばんはちおうじせんにんどうしんけんしょうのとう
)
」といいます。
東照宮
(
とうしょうぐう
)
の
参道
(
さんどう
)
を下りてきた、
突
(
つ
)
き当たりの所に
建
(
た
)
っています。
日光火之番八王子千人同心顕彰之燈
八王子千人同心とは、
江戸
(
えど
)
時代に東照宮や
大猷院
(
たいゆういん
)
のある日光を、
火
(
か
)
災
(
さい
)
や
災害
(
さいがい
)
などから守る役目をした人たちです。
江戸
幕府
(
ばくふ
)
は東照宮などのある日光をとても大切な場所と考えていました。この場所を火災などから守るために、大猷院
造営
(
ぞうえい
)
が始まった
承応元年
(
じょうおうがんねん
)
(1652年)に日光火之番という役目を作りました。この役目に
従
(
したが
)
った人たちが、
現在
(
げんざい
)
の東京都八王子市の
周辺
(
しゅうへん
)
に住む千人同心と
呼
(
よ
)
ばれる人たちでした。千人同心の人々は
故郷
(
こきょう
)
を遠く
離
(
はな
)
れ、日光を火災などから守るという大切な役目を、
明治
(
めいじ
)
元年(1868年)まで200年間にわたって
果
(
は
)
たしました。
そのおかげで、世界文化
遺産
(
いさん
)
の「日光の社寺」は、火災による
被害
(
ひがい
)
を受けることなく大切に受け
継
(
つ
)
がれました。
この長い間にわたる役目に、
感謝
(
かんしゃ
)
の気持ちを表して建てられたのがこの顕彰の燈です。
それは、幕府の
槍奉行
(
やりぶぎょう
)
に入る
旗本
(
はたもと
)
が十人いて、この十人がそれぞれ百人の同心を
支配
(
しはい
)
していたので、八王子千人組、または千人同心と呼ばれたそうです。
防火隊碑
江戸幕府の終わり
頃
(
ころ
)
の
寛政
(
かんせい
)
年間(1789年〜1801年)から、この人たちの二・三男を中心に北海道の
開拓
(
かいたく
)
がなされました。その場所が現在の
苫小牧
(
とまこまい
)
の周辺だったそうです。
このことが
縁
(
えん
)
で、日光市は八王子市と苫小牧市と
姉妹都市
(
しまいとし
)
の
関係
(
かんけい
)
を
結
(
むす
)
んでいます。
日光火之番八王子千人同心顕彰之燈は、八王子千人同心の人たちの働きに感謝して、1958年に日光市・八王子市・東照宮・
輪王寺
(
りんのうじ
)
・
二荒山神
(
ふたらさんじん
)
社
(
じゃ
)
で
相談
(
そうだん
)
して建てられました。
また、
匠町
(
たくみちょう
)
の
浄光寺
(
じょうこうじ
)
には、日光で
亡
(
な
)
くなった
隊士
(
たいし
)
を
弔
(
とむら
)
うために
天保
(
てんぽう
)
5年(1834年)に建てられた
防火
(
ぼうか
)
隊碑
(
たいひ
)
があります。