朝鮮通信使

東()照()社()縁()起()絵()巻() 第四巻 (日光東照宮蔵)
朝鮮通信使とは、江戸時代、将()軍()の代()替()わりや世()継()ぎの誕()生()に際して、お祝いのために朝鮮王国から使わされた人たち(使()節()団())をいいます。朝鮮半島から江戸(今の東京)まで、およそ1,000Kmの道のりを9〜10ヶ月かけて行き来しました。1607年から1811年の間に12回の使節団が来ていますが、そのうち初めのころの3回は日光にも来ています。1回目は1636年、東照宮ができあがってまもなくのころ。2回目は1643年、4代将軍家()綱()が誕()生()したころ。3回目は1655年に来ています。使節団は200人以上の人びとで、警()護()する人たちを入れると1,000人以上の大集団でした。
このころ日本は「鎖()国()」をしていたので、外国の人が日光に来ることなど大きな驚()きでした。つまり、日光に来た最()初()の外国の人が朝鮮の人びとだったのです。
朝鮮から贈()られた品々
【朝鮮鐘()】
1643年に4代将軍家綱の誕生のお祝いに来日した朝鮮通信使から鐘と花瓶()、香炉()、燭()台()が贈られています。鐘の側面()には、「朝鮮国王が東照宮におさめるために作らせたもの」という意味の文面が見られます。使われた銅()は対馬()から取り寄せたものです。龍()頭()(鐘を吊()るための上部の突起())に小さな穴(日本の鐘にはないもの)があるなど、朝鮮鐘の特徴()も見られます。このことから、別名「虫蝕()の鐘」とも呼ばれています。
陽明門()の手前右側、鐘()楼()近くの鐘()舎()に吊るされています。
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- 《朝鮮鐘》
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- 《上部に見られる小さな穴》※円の中央