弥生祭〜春告げ祭〜弥生祭1弥生祭2弥生祭3弥生祭4弥生祭5


日光の春は,「弥生やよいばやしの音にってやってくる…」と言われています。その「弥生ばやし」とは,日光の氏神様うじがみさまである二荒山神社ふたあらさんじんじゃの弥生祭のときや家体やたいの中でかなでる「祭ばやし」のことです。
 弥生祭は,きびしく長い冬にざされていた日光に春のおとずれをげる祭りであり,市民は祭り気分きぶんいしれ春の訪れをよろこび合います。

[弥生祭のはじまりと名称めいしょう由来ゆらい
弥生祭は『日光山三月会縁起にっこうさんさんがつええんぎ』『満願寺三月会日記まんがんじさんがつえにっき』などの資料しりょうによれば,神護景雲元年じんごけいうんがんねん(767年)に始まったとされています。
3月は,昔のび方では「弥生」なのでそこから「弥生祭」とつけられました。その当時は,大陰暦たいいんれき旧暦きゅうれき)がもちいられていましたが,明治めいじ6年(1873年)から太陽暦たいようれき新暦しんれき)が使用しようされるようになったため,旧暦の3月が現在使われている新暦の4月の時期じきにあたるので,4月16日・17日に弥生祭が行われるようになりました。しかし,「弥生祭」という名前はそのままのこされました。

[本祭ほんまつりと付祭つけまつり]

この祭りは,「本祭り」と「付祭り」とに分けて呼ばれています。二荒山神社が行う祭典さいてんを「本祭り」といい,氏子うじこの人々の奉納ほうのう行事を「付祭り」といいます。 「本祭り」は4月13日に始まり,17日まで二荒山神社本社や別宮滝尾神社べつみやたきのおじんじゃ本宮神社ほんぐうじんじゃ古式こしきにのっとりおごそかに祭典や御輿渡御しんよとぎょが行われます。
「付祭り」は家体をもつ東町ひがしまち8ヶ町,西町にしまち7ヶ町(現在3町が休年中)が花家体や本家体を神社に奉納する祭りです。現在げんざいのようなお祭りの形になったのは,江戸時代からと言われ,昔は「人かつぎ家体」と呼ばれる重量約300Lもの家体を担いで囃子はやしを奉納しました。ところが,昭和しょうわ14年(1939年)に「車輪しゃりん四輪よんりんつき家体」が登場とうじょうし,現在のような形へと少しずつ形を変えてきたわけです。 また,別名べつめい「ごた祭り」とも呼ばれ,昔からしきたりをおもんじ,格式通かくしきどおりに万事ばんじを進めないとけんかになることもある祭りです。これは,たんにお祭りのしきたりということだけではなく,社会教育の場でもあったのです。